東京地方裁判所 昭和43年(むのイ)137号 決定 1968年3月05日
主文
原裁判を取消す。
理由
<前略>
二、当裁判所の判断
(1) 一件記録を検討すると、被疑者が勾留請求書記載の各被疑事実を犯したことを疑うに足りる相当の理由があることは明らかである。
(2) 本件記録および当裁判所の事実調によると、原裁判官は、本来現行犯人逮捕においては、何人にも犯人が犯罪を行い、あるいは行い終つたことがその五感の作用により明白に認知できるものであることを要するところ、本件勾留請求にかかる第一の詐欺未遂については、逮捕警察官に詐欺罪の構成要件である被疑者に返済の意思および能力がなかつたことを現場で直接に確定することができなかつたにもかかわらず、単に参考人から詐欺未遂の被害に該当するような外形的事実を聴取しただけで、被疑者を現行犯人として逮捕したのは違法である、と判断していることが認められるから、まずこの点について判断する。
<証拠>によれば、被疑者は昭和四三年三月一日午後〇時三〇分頃、東京都新宿区若松町三八番地荒木吉雄方に電話をかけ、同人に対し「中学校の同期で野球部の前田です。車で事故を起したから三千円位借してくれませんか。」と金員の借用を申し込んだうえ、同日午後〇時四五分頃同人方を訪れ、「自動車で新大久保まで来たところ追突してしまい、示談に一六、〇〇〇円かかるのだが、金が足りないので三、四〇〇円借して欲しい。」と述べたが、右荒木は、一ケ月位前に中学校の同級生水谷政洋の母ヨシヰが被疑者から右同様の方法で寸借金名下に現金三、〇〇〇円を騙取されたことを聞き知つていたため、早速水谷ヨシヰを呼んで被疑者を確認し、被疑者が自己に対しても寸借詐欺の目的で虚偽の事実を云つているものと考え、弟を附近の牛込警察署若松派出所に急行させて警察官に事情を話して来てもらつたうえ立ち上つて帰ろうとする被疑者に対し「話がある。ちよつと待て、友達のところをだまして歩くのではないか。」と詰問したところ、被疑者が「かんにんしてくれ。」と自己の罪責を認めたこと、そこで警察官が被疑者に対し「何故そんな嘘をつくのか。」と追求したところ「金がなかつたので、交通事故を起し金が足りないからと三、四〇〇円借りようとしたのです。悪いことは言わなくともわかつております。」と自己の罪責を認めたので、同日午後一時五分頃その場で被疑者を詐欺未遂の現行犯人として逮捕したことが疏明されている。
なるほど、固有の現行犯人を令状なしで逮捕できるのは、それがいわゆる燃えている犯罪であつて、何人にも犯人であることが明白で過誤を生ずるおそれがないからであることに鑑みると、逮捕警察官が犯行状況を実見していない本件のような場合には、その逮捕はできるだけ慎重でなければならないことはいうまでもない。この点原裁判官が、本件において逮捕警察官が犯行を実見しないにもかかわらず被疑者を現行犯人と認めて逮捕したことを違法であると判断したのは固有の現行犯人逮捕に関するかぎりは正当であり、近時現行犯人逮捕がややルーズに運用されている現況に照し、これを厳格に解しようとする立場は理解するに難くないところである。
しかし、本件がいわゆる準現行犯に該るかどうかについて考えてみると、本件においては、被疑事実は寸借詐欺というむしろ定型的で簡単な事案であり、犯行現場に急行した警察官は、前記のように被害者がその場で被疑者を詰問し、被疑者が自己の罪責を認めているのを目撃したうえ、自らも追求したところ、被疑者がさらに自白したというのであるから、刑事訴訟法第二一二条第二項第一号にいわゆる「犯人として追呼されているとき」と同様に解することができるものというべきである(福岡高裁宮崎支部判決昭和三二年九月一〇日、特報四巻四七一頁)。けだし刑事訴訟法第二一二条第二項第一号ないし第四号は犯人であることの明白性について疑いのない場合だけを列挙したものであつて、本件の場合は同条第二項第一号の場合と何等選ぶところがないのであり、しかも罪を行い終つて間もないと明らかに認められる場合であるからである。(なお原裁判官は被疑者に返済の意思、能力がなかつた点を本件寸借詐欺の構成要件要素と解しているようであるが、金員借用の申込みをするにあたり、主観的にも客観的にも相手方に金員交付をする意思決定の動機づけを与えるに足る虚偽の事実を告知すれば、詐欺罪の欺罔手段として足るのであつて、返済の意思および能力の存否については詐欺罪の成立に影響を及ぼさないものと考えられる。)
そうすると、本件現行犯人逮捕手続が違法であるとした原裁判官の判断は結局失当に帰するといわなければならない。
(3) そこで刑事訴訟法第六〇条第一項各号の事由の有無について一件記録にもとづき検討すると、被疑者の住居は特定しており、また被疑者が現行犯人として逮捕されたときの状況、被害者との関係に照して、罪証を隠滅すると疑うに足りる相当の理由があるとは認められない。しかし、被疑者は現在父母と同居しているとはいえ、職業の定まつていない独身者で以前には親元を離れていたこともあり、また昭和四二年四月二二日津地方裁判所で窃盗罪により懲役一年執行猶予三年の裁判を受け、現在執行猶予中であることが認められるから被疑者が逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるものと云わざるを得ない。
(4) 以上のとおり本件については刑事訴訟法第六〇条第一項第三号により被疑者を勾留すべき理由および必要があるものと認められるので、本件勾留請求を却下した原裁判は失当というべきであり、結局検察官の本件準抗告の申立は理由があることに帰するから、同法第四三二条、第四二六条第二項により原裁判を取消すこととする。
よつて主文のとおり決定する。(熊谷弘 山田和男 永井紀昭)